拡大するビジネスチャンスをいかにモノにするか
入社以来、私はエレクトロニクス関連製品の営業一筋にやって来ました。現在はエレクトロニクス材料営業部長として、国内外で営業活動の陣頭指揮に当たっています。
現在の営業の主力はEVを中心としたCASE向けの製品やメタバースやDXにより増大するデータトラフィックやセンサーを支える化合物半導体基板などで、中長期的に大きな成長が見込まれる分野です。これらのキーワードとなる「情報化」と「EV化」は言い換えれば「エレクトロニクス化」で、まさに私たちの得意とするところ。ただ、これらの発展のスピードはとても速く、グローバルな競争も激しくなっています。そのためにも当社の強みである技術?研究開発?製造と営業?マーケティングの部門連携をさらに強化し、競争を勝ち抜く戦略を立てています。たとえば、増産投資。工場建屋や設備の完成には時間がかかるため、つねに2、3年以上先のビジネスを営業部門として責任を持って見込み、ビジネスチャンスにはすぐに市場に送り出せるよう、製品開発を終わらせ製造キャパを確保しておかなければなりません。現在も、新たなビジネスチャンスに備えてさまざまな製品を仕込んでいるところです。
製造を知ることが「メーカーの営業」の醍醐味
私は学生時代からモノづくりの醍醐味を味わえる「メーカーの営業」を志望していました。自分が関わって立ち上げた製品が、店頭に並ぶ。それが夢でした。実はどちらかというと一般消費者に近い製品に携わりたいと思っていたのですが、当時の豪门国际PG官方電工は光ファイバーやインフラ分野が有名。それでも何かあるだろうと食い下がり「あるよ」と言われて入ったら、担当がジャー炊飯器の内鍋のコーティング製品「スミフロン?コートアルミ」になりました。なるほど近いな、と(笑)。実家で母親がそれを触っているのを見て、ああ、希望がかなったと思いました。もちろんその思いは今も全く変わっていません。自分が関わった製品が市場に出る時が何よりも幸せな瞬間です。Judd Wire製の電線が使われた飛行機に乗る時は、いつも子どものようにニンマリとしてしまいます。
ともあれ、製造のことを知れば知るほど営業のやり方が変わるというのが私の持論です。営業は製造のことをもっと勉強しなくてはいけません。お客さまのご期待に応える、と一口に言っても、それを実現するにはどれだけの工数や課題があるかを知っておく必要があります。そうすればお客さまと製造部門の両方が理解でき、よりよい調整のもと、よりよいモノづくりができるのです。
「NO」ではなく「YES, BUT」から始める
私の営業の流儀は、お客さまと話す時は「NO」ではなく「YES, BUT」から始める、ということ。まず「YES」でご要望を受け止め、その背景を探り「BUT」で話を詰めていく。特にアメリカでは良く言っていました。私たちはメーカーなので、お客さまから難しいご要望もたくさん寄せられます。それを「できない」ではなく、「どうやったらできるか」を考えることから始めるのです。ご要望の背景を見極めるのも私たち営業の仕事。細かいようですが、問題はデータの測り方だったり使用する機械の相違であったりすることもあります。お客さまの言葉を細かく聞いて、対策を考える。「できません」と簡単に言わないのがメーカーの営業としての私のプライドです。
中国での“経験”が大きな財産に
私は1994年より中山住電新材料有限公司(以下、中山住電)の設立?開業に携わりました。入社8年目の30歳でした。以前より香港?中国でのスミフロン?コートアルミの拡販活動をしており、日系のお客さまのご要望もあって広東省中山市に会社設立、工場をつくろうという話になったのです。当時の会社立ち上げの専任駐在員メンバーは社長、製造?技術責任者、そして営業責任者の私のわずか3名。住電アジア(香港)の協力も得て、何もないところで一から会社、工場をつくり、現地の人を雇い、製品を生産し販売しました。まさに自分の会社のようで責任は重大でしたが、やりがいも大きかったです。
つくる製品は変わりましたが、現在も中山住電は中国における重要な製造拠点の一つです。この時の経験は、私にとって大きな財産となりました。
海外駐在で幾多のリスク管理を学ぶ
コロナ禍、ウクライナ情勢、半導体不足など、世界情勢に大きな影響を受けている昨今ですが、私は2009年のドイツ駐在時(SESP社)にリーマンショックを経験しています。スミチューブの注文がピタリと止まり、仕事が本当になくなることがあるのだと痛感しました。その際、現地の人事マネジャーのアドバイスもあり、国のワークシェアリング制度を利用しました。これは企業が国からの補助金で従業員の雇用を継続するための国家的な制度です。これをフルに活用して1年ほど耐えている間になんとか需要が戻り、それにともなう受注増にも万全の体制で対応することができました。仕事がなく苦しい時間をみんなで分かち合ったことも、チームとしての結束を高めてくれたように思います。その間の私は、とにかく新規の話を止めることなく需要開拓に努めていました。日本の親事業部、研究開発部門と連携し、開発がかなえば、ドイツ側での製造?販売につなげることに注力しました。
また2018年からアメリカに駐在(Judd Wire社)した際は、コロナ禍も経験しました。工場のあるマサチューセッツ州にもワークシェアリング制度があり、すぐにそれを活用しました。従業員には日本から大量のマスクを送ってもらい、着用を徹底。当初こそ反発もありましたが、会社で伝染し合うのだけは避けようと呼びかけ、みんなの協力のもと社内で感染が広がることはありませんでした。結果的に需要回復の折には競合他社よりも早くスタートダッシュができたのです。これはもはや営業として身体に刻み込まれたリスク管理かもしれません。